糠床管理は瞑想です

瞑想なんかは学生の頃からやって参りましたが、結局糠床混ぜてる時が一番瞑想状態だなと感じます。

 

瞑想中、というのは瞑想をやっているんですね。

 

瞑想というのはやろうと思ってやる、というのも重要ですが、身になってきますとやらない事が要(かなめ)だと気づけます。

 

守破離、みたいなもんですね。

 

最初は型にハマって分からないなりに座ってやる他ないですが、ある程度やってますと瞑想が邪魔になってきます。

 

そこまで行くと如何に通常の動作全てを瞑想にするか、という話になってまいります。

 

というよりも、最初から最後までこれで良いんだと思うんです。

 

ただ、それだと脳が認知しにくく方向性が余りにも分からないので、初めは型にはめてやるのが正攻法ですね。

 

 

糠床を混ぜる、というのは日常でありながらもどこか特殊な時間です。

 

これを利用しない手はありませんよ。

 

糠床を混ぜてる時は、私が糠床になってしまいます。

 

私を糠床にするためには、私があってはいけませんね。

 

私を無くすというのは、無いという私を作る事でもないですね。

 

歩いててぐねりますと、途端に私はぐねりになります。

 

そんな感じで完全に糠床になってしまうと、糠床がやりたい事というのが見えてきますね。